JIRO
JIRO(ベース)
和山義仁
生年月日:1972年10月17日
血液型:A型
出身地:北海道
「俺んち、夕方は5時半までに家に帰ってないと、飯を
食わせてもらえないんだよ。」
とJIROが語るほど、子供時代は厳しい家庭で育ったよ
うですね。
お父さんは、左官業をやっていた職人さんだったらしく
JIROも将来は、大工さんになりたかったようです。
GLAY JIROのイメージからは、大工さんは想像つか
ないですが、意外といい大工さんになってたかもしれま
せんね。
容姿に似合わぬ、男らしい一面は、ここから来ている
のでしょうか。
音楽との出会いは、中学生の頃友人から借りたエレキギター
がきっかけで、その後、「ネクストビート」というバンド
を結成しました。
この頃の、JIRO画像の印象はクールな美少年という
感じでしょうか。
高校生時代。
函館大谷高校が、JIROの母校です。
学校では、そんなに目立った生徒ではなかったようです
ね。
しかし、音楽活動はかなりがんばっていたようです。
バンド活動としては、最初は「セラヴィ」そして高校3年
のとき「ピエロ」へ加入しました。
当時、「ピエロ」の人気はかなりのものだったようです。
高校時代のJIRO画像は、かっこよくてかわいい、そし
て少しクールという、独特の雰囲気を持っています。
また、ベースの腕前は相当のものだったようですね。
高校卒業後、上京したのですが、GLAYの他のメンバー
より、一年後輩のJIROはまだGLAYには加入して
いなかったんですね。
まだ、JIROが「ピエロ」として函館で活動していた
頃、GLAYとの面識はあったようですが。
その後、TAKUROと東京で再会しGLAYのベース
を探している事を知り、そのままGLAY JIROの
誕生となったようです。
その後の活躍は、以前に書いたとおりです。
GLAYの中で、JIROのビジュアル的な個性は、際
立っているのではないでしょうか。
GLAY画像掲示板なるところで、一番人気なのは、や
はりGLAY JIRO画像のようですね。
GLAY画像のランキングが、人気のバロメータになる
のかは,わかりませんが参考までに
一位 GLAY JIRO画像
二位 GLAY TERU画像
三位 GLAY TAKURO画像
四位 GLAY HISASHI画像
という順番でした。
このランキングが信憑性のあるのかないのかさえも、
わからないので何ともいえませんが。
ちなみに、GLAYの画像はかなり人気あるようです。
GLAY画像掲示板をはじめとして、GLAY画像
交換所、GLAY画像交換掲示板、GLAY画像交換場、
GLAY待受画像掲示板,などなど
ネットで検索すると、GLAY画像に関するサイトは、
無数にあります。
なかでも、GLAY JIRO画像は大人気のようです。
携帯の待受画像でもGLAY JIRO画像は、人気なん
でしょうね。もちろん、PCの壁紙でもJIRO画像を
使っている人は多いんでしょうね。
デビューから10年以上も経っている現在でも、JIRO
の美しさは、健在です。
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HISASHI
HISASHI(ギター)
外村尚
生年月日:1972年2月2日
血液型:O型
出身地:北海道
「何度も転校したけど、何が嫌って、初日にするみんなの
前でする挨拶、あれが本当に苦手」
GLAY HISASHIの子供時代の言葉です。
お父さんの仕事の関係で、転校が多かったHISASHI少
年は、子供心に辛かったんでしょうね。
小学校4年生の頃、青森県弘前市から北海道函館市に
引っ越して、そこで落ち着くことになったようです。よかっ
たですね。
HISASHIは、中学時代からかなり本格的に音楽に魅了
されていたようです。
また、機械系につよくて、プラモデルやラジコンなど非常
に好きだったようですね。
そんな中学生時代にお父さんが亡くなってしまいます。
多感な時代の出来事で本当にショックだと思います。
HISASHIの救いだったのは、お母さん。とっても強い
お母さんを見て救われたんでしょうね。
そして、初めてのギターの購入、フェンダーのストラトキャ
スター。当時の人気だったんでしょうか。
音楽への情熱は、益々膨らんでいたようですね。
残念ながら、この頃までのHISASHI画像は見つけられ
ずにいます。
そして、高校入学。
函館稜北高校時代、「蟻」というパンクバンドを組んで、バ
ンド活動をはじめました。
その後、高2の時に同じ高校のGLAYのリーダーTAKURO
に出会って、GLAYに加入しました。
この頃のGLAY HISASHIの画像を見るととっても真面
目な好青年に見えます。
ここから、GLAYのHISASHIとしての活躍の始まりです。
趣味は幅広く、ざっと挙げると、アニメ、漫画、車、バイク、
パソコン・・・などなど。
自他共に認めるオタクみたいですね。
特に機動戦士ガンダムが大好きのようです。
ガンダム好きは、結構おおいですよね。
先日、GACKTがテレビでガンダム大好きって言ってまし
たし。
1999年に結婚しています。お相手は、ライブ中に骨折を
した時に看病をしてくれた女性らしいです。
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TAKURO
TAKURO(ギター)
久保琢郎
生年月日:1971年5月26日
血液型:O型
出身地:北海道
「オレのお父さんはね、3才の頃交通事故で死んだんだよ。
なんとなく、顔は覚えているけど、はっきりした記憶はない
んだ。」
3歳の時に交通事故でお父さんを亡くしているんですね。
本当に辛い経験だと思います。
この辛い経験が、今のTAKUROの強さにつながっている
のかもしれませんね。
TAKUROは、桔梗小学校時代にTERUと出会っていたん
ですね。
でも、当然この頃はまだGLAYは生まれていません。
この頃のTAKUROの画像は、残念ながら見つかりません。
そして桔梗中学校時代に本格的に音楽に目覚めたみたい
です。
当時の画像は、まじめそうな中学生という印象です。
幼い頃から音楽には興味を持っていたようですね。
お母さんがシャンソン歌手だったことも影響しているのでは
ないでしょうか。
また、ビートルズのジョン・レノンにかなり影響を受けたよう
ですね。
そして、BOOWYの『B・BLUE』を聴いた時、人生で腰を抜か
すほど驚いたんですね。この衝撃がTAKUROを一流のアー
ティストに導いたのでしょう。
高校卒業後は、以前に書いたとおりGLAYの大活躍のはじ
まりです。
高校時代のTAKUROの画像をいくつか見ましたが、かっ
こいいです。TERUもかっこよいですが、TAKUROの画像
も本当にかっこよいです。
同級生と写ってる画像なんて、飛びぬけてかっこいいです。
ある意味浮いています。
GLAYのTAKUROといえば、音楽的なセンスが素晴らし
く、また独特の語り口でも人気者です。毒舌を交えたユニー
クなトークは幅広いファンから支持されています。
また、GLAYのTAKUROは多方面の著名人との交遊もある
みたいですね。
そんなGLAYのTAKUROですが、やはり売れない時期は
つらかったようで、こんな弱気な発言もしていたようです。
「聴いてもらえれば、好きになってもらえるはずなのに」
GLAYのTAKUROの言葉です。
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TERU
TERU(ボーカル)
小橋照彦
生年月日:1971年6月8日
血液型:O型
出身地:北海道
「オレは小さい頃は、自然児だったな。」
と本人も語るように、子供の頃はわんぱくだったらしいです。
小学生の頃は、スポーツ少年で、中学生の頃には野球部に所属
していました。
(因みに、TAKUROは中学生の頃、サッカー部でした。)
小学生の頃のTERUの画像を観ると、とても活発そうな雰囲気で
すね。
スポーツ万能だったTERUは、高校では、サッカー部に入部しま
すが、長くは続きませんでした。
そうです。音楽への目覚めがこの頃起こったようです。
この頃のTERUの画像を観ると、もうかっこいいんです。
もてもての人気者なのが、わかってしまうくらいにかっこよい
です。
そして、
文化祭での聖飢魔IIのコピー2曲が、新しい世界へのきっかけに
なったようです。
バンド名は「花とゆめ」、このときの、担当はドラムでした。
その後、小中学校の同級生であるTAKUROに誘われて、
「GLAY」を結成する。
最初は、ドラムを担当する予定だったようですが、何の気なしに
テープに歌を録音して、TAKUROに聞かせたところ、腰を抜か
すほどの衝撃を与えてしまい、ボーカリストTERUが誕生したよ
うです。
TAKUROにとっては、BOOWYの『B-BLUE』を初めて聴いた時以
来の衝撃だったようです。
あの声をはじめて聞いたときの衝撃、なんとなく想像できそうで
すね。
そして、東京に上京。
上京後のインディーズ時代は、様々な仕事をして、バンド活動を
行っていたようですね。
やっぱり、GLAYでも苦労の下積み時代があったんですね。
そして、1994年のメジャーデビューを迎えます。
その後の活躍は、以前の記事に書いたとおりです。
2002年4月29日にPUFFYの大貫亜美さんとの結婚を発表
しました。(再婚でした。)
びっくりニュースでした。
そして、なんと趣味は料理で、腕前も超一流らしいです。
(食べてみたい。)
また、「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーンにも
参加しています。
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軌跡
GLAYのバンド名の由来
黒(ロック)でもなければ白(ポップ)でもないという意味で、灰色の
グレイ(Grayをビートルズ風にもじって、GLAY)になったらしいです。
また故郷の函館の冬空の色(灰色)にもかけているようです。
函館市内の小中学校の同級生だったTAKUROとTERUが、1988年
「GLAY」を結成しました。
また、TAKUROと高校の同級生であるHISASHIは、函館の喫茶店「R」
での交流がきっかけで、1990年にGLAYの一員になりました。
そして、プロを目指して東京へ上京。
1992年、JIROを加えて現在のメンバーになります。
メジャーデビューは、1994年。
その後、数々のヒット曲を残して、10年以上に渡って
日本の音楽シーンを牽引してきました。
現在も、その人気は健在です。
それでは、簡単に「GLAY」の軌跡を振り返ってみます。
1994年『RAIN』でデビュー。
1995年には『Yes, Summerdays』。
1996年に『グロリアス』のヒットをきっかけに、2ndアルバム
『BEAT out!』がオリコンで初登場1位を獲得しました。
また立て続けに『BELOVED』『口唇』『HOWEVER』なども
大ヒットします。
まさに、GLAYの年でした。
この頃は、本当に衝撃的な音楽でした。
1997年にベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』を発売して、
歴代のアルバムセールスを更新して歴代1位(約500万枚)の新記録
を作りました。
1998年も、同時リリースの『誘惑』と『SOUL LOVE』が大ヒットします。
そして、『サバイバル』が歴代ビデオシングルの1位を記録しました。
GLAY健在を思い知らされたような活躍でしたね。
1999年夏、千葉の幕張メッセ屋外有料駐車場で
『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO'99 SURVIVAL』
を行いました。
観客動員数は、国内単独ライブとしては最高の20万人と達成しました。
また、12月には『Winter,again』で日本レコード大賞を受賞します。
2002年、『GLAY ONE LOVE in 北京』を開催しました。
日中国交正常化30周年の記念イベントです。
2004年夏、『GLAY EXPO 2004 in UNIVERSAL STUDIOS JAPAN
“THE FRUSTRATED”』を開催しました。
GLAYのデビュー10周年を記念して行われたイベントで10万人の観客を
集めました。(ユニバーサル・スタジオ・ジャパンにて開催)
2005年、ミュージックビデオの祭典である「SPACE SHOWER MUSIC
VIDEO AWARDS 05」にて,特別賞を受賞しました。
2006年、7月12日発売の『G4』をきっかけに活動を再開。
8月には『KYOSUKE HIMURO+GLAY 2006 at AJINOMOTO-STADIUM
"SWING ADDICTION"』を、氷室京介さんと開催しました。
2007年、シングル『100万回のKISS』とアルバム『LOVE IS BEAUTIFUL』
が発売されました。
簡単に、振り返ってみましたがずっと日本の音楽シーンのトップにいる
「GLAY」は、本当に偉大です。
改めて、そう実感しました。
| GLAYについて